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西欧の服飾 (11世紀-12世紀) : ミニ英和和英辞書
西欧の服飾 (11世紀-12世紀)[11せいきから12せいきせいおうのふくしょく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
西欧 : [せいおう]
 【名詞】 1. Western Europe 
: [ふく]
  1. (n,n-suf) clothes 
服飾 : [ふくしょく]
 【名詞】 1. clothing and accessories 2. attire 
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
世紀 : [せいき]
 【名詞】 1. century 2. era 

西欧の服飾 (11世紀-12世紀) : ウィキペディア日本語版
西欧の服飾 (11世紀-12世紀)[11せいきから12せいきせいおうのふくしょく]
11世紀から12世紀西欧の服飾(11せいきから12せいきせいおうのふくしょく)では、11世紀から12世紀にかけてのフランスを中心とする西ヨーロッパ地域の服装について説明する。
== 特徴 ==

古代ゲルマン人の服飾は、タキトゥスの『ゲルマニア』などの記述と、デンマークドイツなどの泥炭地帯から発掘された遺物などによって形状等が判明してきている。
素材には主にウール皮革を使いも使われるようになっており、ポシェットのような小物入れにはツタを編んだものをつかうこともあった。男性の狭い尻丈から上丈のチュニックズボンを履き、ゲートルを巻いたり革のボールドキャップ(頭の形に合わせた丸い縁なし帽)やケープ、ウールのマントを身に着けていた。女性は、やはり袖の狭いチュニックの上から長いスカートを身に着けていた。どちらもに皮の細帯を巻き、革を重ねて作った靴を履いていた。
ゲルマン人が南方に移動し、ローマなどの文化に触れるうちに、上流層は徐々に二部式の衣装を避けるようになった。男性のチュニックはローマ人を見習って膝下以下となったが、逆にズボンは短くなりブルフという半ズボンのかたちとなってチュニックの裾に隠すようにして着用した。また、脚にはホーズという長靴下を履くようになった。女性もまた、丈ほどの長いチュニックを着るようになっていった。
11世紀にはいると、十字軍による東方遠征の影響によりビザンツの文化が西欧の上流階級に怒涛の勢いで流れ込むようになった。ビザンツ(東ローマ帝国)の領域で商われていた絹織物や高価な毛皮宝石染料などが地中海沿岸の南フランスやイタリアの港を中心にヨーロッパへ盛んに輸出されるようになった。アラビアから輸入された上質な薄い毛織物モスリン木綿地、綴れ織、サテンビロード、また白テンや灰色リス黒テンの毛皮ばかりではなく、羊毛や金銀、パープル染料やミョウバンなどもヨーロッパに広まった。衣服は、従来のゆるやかなチュニックをただ重ねただけのものから、を取ったり腰を紐締めしたり袖を広げるなど、デザインが豊かになり華麗さを増した。これらの優美なスタイルは12世紀中ごろに確立し、「ローマ風」とみなされて「ロマネスク様式」と呼称された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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